広告

2010年12月31日金曜日

2010 残りわずか

総合格闘技って期待しましたけどやっぱりボクシング好きの私には退屈でしかありませんでした。

注目の青木選手もあっさりやられてしまったし。


それでは皆さんよいお年をお迎え下さい。

今夜の予定

元々私はテレビはニュース以外興味が無く、年末のテレビ番組など特に興味がなかったのですが、格闘技が面白そうですね。

「青木選手」に興味があるのです。彼について詳しくは知りませんが凄い経歴、そしてファイトセンス。

私はボクシング以外格闘技は興味ないけど、青木選手だけは別格です。

そもそも青木選手を知ったきっかけも去年の大晦日の試合だったのではないだろうか?

後でネットで知ったのですが。

その彼がK-1のコスプレ選手(なんとか自演乙)と試合するそうで。

DREAMの公式サイトを見ていたら、その試合についてインタヴューが書かれていましたが、青木選手らしくクール。試合が楽しみになりました。それまで全然知らなかったのに(笑)。


年越しそばを食べて、格闘技見て、新年を迎える事になりそうです。

寒波到来

天気予報通り寒波がきています。

外は雪景色。

今日は(今日も?)家の中でのんびり過ごします。

明日もこんな天気なのかな?

なんか眠いので昼寝します。

恐らく起きたら、日が沈んでいるでしょう。

2010年もあと10時間と少しだな。

子供の頃から、もう過去になってしまうのかと思うと寂しくなる。

時は常に進んでいるのにね。節目になると寂しくなる。

今年も間もなく終わる

2010年も残り24時間切りました。

今年1年は早かったです。

うつ状態で苦しみながら年末を迎えなくて良かった。

ここ数日はイライラもせずリラックスしている。

この状態で2010年にさよならを告げ、2011年を迎え入れたい。

生活状態はよくないけど、今の心は幸せに満ちている。

2010年12月30日木曜日

そして今 続:なぜうつ病になったのかを考えてみる

退職してから主治医に就労不可と診断書を書かれました。

就労できる迄の見込み3ヶ月とあったので、仕事を辞めてから体力維持する為にウォーキングやジョギングをしていました。プールに行ったりジムに行ったり。季節が冬で寒かったからサボりがちでしたけど。

春頃には就労可能だろうと思っていましたが、自分にはもう輝かしい未来は無いと絶望し、死にたくなったり。精神状態は不安定でした。
 
とにかく寝てばかりいたと思います、それは今も変わりませんが。身体・心が休みたいと言っているのかもしれません。


今は薬のおかげか、将来の自分に対して悲観的にはなりません。多分ただ現実から目を逸しているだけなのでしょうけど。

ここからは推測ですが、収入は今迄以上に落ち込むだろうし、金を持たず精神疾患を持った男と結婚してくれる変わった女性は数少ないでしょう。こんな私でも子供が欲しいという願望はあります。

ただ理想をかなり小さくしなければ生活は成り立たないでしょう。

恐らく私が結婚しなくても、かつて言われた独身貴族などにはなれず、ワーキングプアーの道を辿る事になるでしょう。

そうならないように、就労可の診断書が出たら、じっくり焦らず会社を選ぼうと思います。

今は物事を難しく考えず、焦らずゆっくり時間を過ごそうと思います。

続:なぜうつ病になったかを考えてみる

前回の続きになりますが、うつ病を発症しろくに休養もせず、躁転してしまい退職に合わせて、新しい会社に入社しました。

経験した事の無い営業職だったけれど、扱っている製品について知識があったので、この仕事はやっていけると思いました。

職場の先輩方も親切で信用できる人が二人いた。これは前職で孤独に仕事をしていたのと比べてとてもいい事でした。

営業という事で飲みに行ったり楽しく過ごせました。営業見習いという形で仕事をしていた迄は。

しかし世の中そんな良い事ばかりの訳がない。

私は新人なのに会社の行事の説明も無く、聞いて回ってもろくな回答が無く、結局自分の判断で行動したら、その事で上司の営業所長にいちゃもんをつけられ、当時私はその事が非常に腹立たしく思いストレスから、また躁転してしまいました。


うつ病を隠して入社したのに、躁転した私はペラペラと私は実はうつ病である事をカミングアウトして回り、トップである営業所長は元々嫌な奴でしたがそれを境に更に私に対する態度が悪化し、パワハラの毎日を繰り返す様になりました。

それから倉庫担当と孤独に追いやられ、あーでもないこーでもないとネチネチ文句を言われながら、挙句の果てには利益を上げない給料泥棒と罵られ、一々真に受けてたら身体が持たないので適当に聞き流していました。

頭の悪い所長だったので、最初から相手にしてなかったのですが、余りにねちっこいのでストレスが溜まり、自分なりにストレスを発散させていたけれど、その内うつがどんどん悪化し状況が悪くなっていきました。


おまけにその年は不況のど真ん中、ワークシェアリングや給料減給。嫌がらせにも耐えながら先輩達に助けられなんとか頑張っていたのですが、相変わらずパワハラの毎日。

自殺を考え出したのもこの頃でした。

そして第二次給料減給の話が出た時、私をリストラ対象とし退職を迫られました。休職をしてしばらく休んでから復職する手もあったのですが、その会社に留まる理由も見つからなかったので、悔しかったですが自己都合で退職する事にしました。
主治医からも辞める方がいいと話がありましたし。

結局うつ病発症から1年半、更にうつ病を悪化させる形になったのです。

なぜうつ病になったか考えてみる

まず一つ挙げられるのが、十数年前ぶりの両親との同居。

そして都会から田舎暮らしの不便さ。

もう一つは給料の低さ。これも都会と田舎の差なのだろう。

関連して遊びが無くなった。楽しんでいた事を共感できる人が周りにいなくなった。



就職するも、いい加減な会社で信条ってのが無く、毎日が自転車操業。

私は以前の仕事の経験上から機械の保全という事で入社したのに、製品の納期が無いから製造ラインを手伝ったり。

そもそもその製造機械がまともに動かない。本来なら調整を済ませば製造が流れるようになるはずなのに、必ずトラブルが起きる。そしてまた調整。その繰り返し。そしてそうしている内に出荷数に達して、次の製品を作る。そして次の製造にかかると、またトラブルの繰り返し。

致命的なダメージを受けたのは、機械の部品が破損して製品(飲み薬)に混入してしまった。それは以前起こった事故で新聞に取り上げられたくらいの事故だった。にも関わらず会社(営業)は「出荷納期があるから出荷しろ!」と言い出した。信じられなかった、「アホ過ぎるだろ?過去の誤ちを繰かえす気か?」と。そもそも、その機械の部品が破損するのは状況的に破損する様な部品では無い。「こんな機械に付き合ってられん。」と言うのが正直な気持ちだった。何せ機械の製造メーカーがなぜ破損したか答えを出せなかったくらいだったし。

仕事に対して相談できる仲間がいなかったのも辛かった。上司に相談・報告していたが、真剣に悩んで相談しても、忙しいからまともに相手にしてもらえなかった。

そしてある日「もう嫌だ!会社に行きたくない。」と言葉に出した翌日から微熱が出て、ふらついたので一日休んで内科へ行って風邪でもない、との事で翌日仕事に出たけれどふらついて仕事にならず、早退。しばらく内科へ通って血液検査等しても異常無し。

そして医者から「精神的に疲れていませんか?」と聞かれて、うつチェックをして、その結果から心療内科の紹介状を書いてもらい現在の病院に通う事になりました。

これがうつ病になったきっかけ。私は双極性感情障害というものを知らず、躁状態で会社を退職・新しい会社に入社をしてしまった。これが大きな間違いだったと思う。

2010年12月29日水曜日

今年一年、うつ病(双極性感情障害)を振り返って

今年は特に代わり映えしない一年でした。

私の病気(双極性感情障害)について振り返ってみよう。

今年は躁転しなかった。

大きな変化があったのは夏の終わり頃、気持ちのセーブが効かなくなって他人に迷惑かけた事。

あれは驚きでした。元々気が短いけど、本当にキチガイでした。

少しでもむかついたら喧嘩腰で相手に迫っていた。

相手が何人いようとお構い無し。むかついたら即、言葉を放っていました。

車に乗っていてむかついたら車から降りて文句言いに行っていた。

手は出さなかったけど、とにかく尋常でなかったです。

その後薬によって落ち着いて本当に良かった。

あのままでは留置所か精神病棟に入れられていただろう。


とにかく今は仕事をしていない(できない)から収入が無いので、思った様に生活が送れないのが辛かったです。

今は徐々にこの生活に慣れてきたけれど。

落ち込んで死にたいとか、もうどうにでもなってくれ、頼むから死なせてくれとか思っていたけれど今はとりあえず大丈夫、落ち着いています。

将来仕事を探す為、何か今できないかと焦ってみたけれど、主治医に止められ今は何も考えず過ごしています。


当然来年もこの病気と共に歩んで行くのだろう。死ぬまで一緒に行くつもりです。

心の波を少しでも小さくして、今は打たれ弱いが考え方を上手く変えて強く生きていきたいと切に思います。

少しづつ、ほんの少しでも良いから快方(寛解)へ向かって行きたいです。 

2010年12月28日火曜日

長渕剛


私は10代半ばでJUDAS PRIESTに出会ってから、どっぷり洋楽のヘヴィメタルにはまり、自らもやろうとプロを目指して頑張った時期がありました。20代半ばで夢諦めましたけれど。

バンド活動辞めてもヘヴィメタルが大好きな事には変わり無いし、今でも聞いています。

しかしうつ病という病にかかってから長渕剛のアルバムを買い漁り、長渕剛の曲をよく聞いています。

彼の曲には勇気付けられます。

今までJUDAS PRIESTは勿論KISSやBON JOVIなど海外アーティストのライブしか見に行った事がありませんが、来月に長渕剛のライブを見に行ってきます。

はじめまして

すなやんと申します。

まだこのBlogの使い方が分らないので色々いじりながらの更新になると思います。

日々思う事を書いていこうと思っています。

よろしくお願いします。